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サーカス団長の娘 

ヨースタイン・ゴルデル/著 猪苗代英徳/訳 NHK出版

幼い頃から孤独を好み、他人を心の中で操り、自分の作り上げた世界に没頭していたペッテル。物語は常に彼の脳内に湧き上がり、留まることを知らない…『ぼくの頭の中では、物語がひっきりなしに生まれている』のだ。
大人になった彼はそのアイディアを小説家(若しくは卵)に売り、生計を立てるようになるが、「君だけに譲るんだ」という決まり文句も顧客が増えるに従って信用されなくなり、次第に今では名を成した顧客たちの反乱に脅えるようになる。

主な粗筋はこうだけれど、作品そのものにはペッテルの創作した物語が随所に挟みこまれ、それだけでも十分に読み応えがあるのだが、別居していた両親それぞれとのとのかかわりや、女性たちとの付き合いも細かく描かれている。特に「生涯ただ一人の女性」マーリアとの出会いと別れと、折に触れ語られる「サーカス団長の娘」の物語は映像的。

しかし、もっともっと手放しで誉めたいのは山々だけど、それをすると帯の文句を考えた人と同じ過ちを犯しかねないのだ。この帯、しっかりネタバレしてるんですよ~。
いえ、読んでいるうちに何となく察することは出来るのだけど、「自分で何となく察する」のと「あ、あそこに書いてあったのはこのことなんだ」と腑に落ちちゃうのは全く別物だし。ラストの胸が痛くなるような余韻は、知らずに読んで完全に感情移入して味わうほうがずっといい。

私は先に読んだ人の感想でこのことを知り、被害を逃れた(笑)のだけど、この小説で先読み出来ちゃうのだけは勿体無い!と読了してつくづく思った。それ程に物語を読むことの面白さを堪能させてくれた小説でありました。

コロラド・キッド 

スティーヴン・キング著「ダークタワー」シリーズの刊行記念イベントとして、新潮社が企画した一万人限定のプレミア・ブック「コロラド・キッド」。添え書きによると、この作品は契約上日本での刊行、販売は出来ないそうだが、プロモーションならばOKとのことで、こういう形になったそうだ。
しかし、知人で応募したひとの殆どが当選しているらしい…もしかして懸賞とは名ばかりの全員プレゼント?いえ、自分が当選すれば良いのですが(笑


メイン州のムース・ルッキット島で発見された死体。身元不明で死因も曖昧…数ヶ月後に身元が判明するものの、更に謎は深まるばかり。

この物語は、老ヴィンスの語る
「現実世界では本物の物語―つまり、はじまりがあって中間があって、結末がちゃんとあるような話は、ごくごく少ないか、まったく存在しない」
の台詞に集約されるだろう。
作り物ならば幾らでも筋の通った物語をひねり出せるが、現実世界に生きる私たちは、誰しも未解決の事件、結末がないまま打ち捨てられた出来事、そして折り合いがつけられぬまま心の中に燻る思い出などに囲まれていると思う。だからこそ、本や映画に起承転結のはっきりしたストーリーを求め、そこに矛盾点を見つけると落ち着かなくなるのかも知れない。

それを逆手に取り、こういう短くも読みでのある物語に仕上げたキングの巧さに脱帽である。島で半世紀のあいだ新聞を発行してきたふたりの老人の洒脱さ、そこに研修に来た本土生まれのステファニーの冴えた頭脳と一途さが楽しく面白く、最後まで一気に読ませるのだ。
これが一般販売だったらなぁ。コアなキングファン以外の人からも面白い感想が聞けただろうに。ちょいと残念である。


コロラド・キッド
 

ジェーン・エア 

シャーロット・ブロンテ著 大久保康雄訳 新潮文庫

中学時代、学校の図書館に「世界文学全集」全100巻が置いてあり、2年の時だったか全巻読破に挑戦した。タイトルとしては40くらいしかなかったと思うが、これで多種多様なジャンルに馴染むことが出来た。が、哀しいかな現在までしっかり覚えているのは数作程度、それも途切れ途切れの記憶しかない。

この本も、そんな1冊。導入部なんて忘却の彼方、かろうじて途中の印象的ないくつかのシーンとラストを思い出せる状態…多分、その頃にはあまり感銘を受けなかった作品だったのだろう。

しかし。
ン十年後に再読すると、これが面白いのなんの。決して短いとはいえない上下巻を、貪るように一日で読みつくしてしまった。

不幸な、そして怒りに満ちた少女時代。
18になる頃には、夢も希望も自分には無縁のものとして、一教師としてつつましく自活する以上のことを考えてないジェーン。

だが、彼女のものの考え方は非常に独特である。機知に富み、判断力に優れ、そして地味な外見からは窺い知れぬ熱い情熱を秘めている…が、性格的にはかなり偏りがあると感じた。非常にプライドが高く、冷静沈着でありながらも時に後先を考えずに行動を起こす。常に静かで控えめでありながら、チャンスがあれば自分の機知を見せびらかし、才能を誇示する。

彼女の情熱の対象、ロチェスター氏もかなりエキセントリックだ。他人を騙すことに喜びを感じるとしか思えない…占い師然り、イングラム嬢との恋愛遊戯然り。彼も、恐ろしく高いプライドを持っているのだろうな。二人とも、容易には癒すことの出来ないくらいに根深い「孤独」を抱えている。互いに魅力の無い容姿であることも、ここまで孤独感を抱くに至った一因であるだろう。だからこそ、彼らは互いを激しく求め、共鳴し合う…多分、この相手以外に自分の孤独を理解し癒すことの出来る人間はいないのだろうから。

そして、ふたりを合わせたよりももっと高慢で救いようがないくらいにエキセントリックなのが従兄セント・ジョンである。ま、彼はバルカンに例えられるような美男子ですけどね。彼が何故にこういう性格となるに至ったかが書かれていないのが結構不満。

この彼らの性格の奇矯さが、悲劇、ロマンス、ゴシック風の恐怖などで色づけされたストーリーの巧妙さにも増して、この本を素晴らしく面白いものに仕立てている。彼らの圧倒的な存在感の前では、テムプル先生やフェアファックス夫人、メアリやダイアナといった優しく思いやりに溢れた人々の、なんと色褪せて見えること…。彼らは生きている。この物語を読むものに、その息遣いを感じさせる程に生きているのだ。独特の人物設定と、その細やかな描写が、この小説をいつまでも古びず色褪せない、古典的名作としているのだと感じた。

今、この年代になって読み返してみて本当に良かった。この小説の面白さは、10代ではほんの表面しか味わえないのだろう。是非他の、中学生の頃に読んだ古典も読み返したくなった。

 

ウースター家の掟 

P・G・ウッドハウス/著 森村 たまき/訳 国書刊行会

相変わらずのバーティーとジーヴス。
しかし、今回はバーティーのなけなしの知性が曇ってしまっている模様。
最初、古典からの引用があやふやなんですよね。だけど中盤からは結構スムーズに出て来る。これはバーティーの置かれた状況によるのか?面倒な事件が頻発し、こんがらがってくると妙に的確な引用が出て来るような。
そしてジーヴスは、密かに期待を抱いている…その望みは達せられるのか?まあ多分最後には、でしょうが(笑)。

そうそう、見つけました!かのアガサ・クリスティーが喜んだという「エルキュール・ポワロ」についての文章。それもホームズと並び称されておりますからねえ。流石は名探偵だ。

しかし…
物語は長編ならではの難問続出である。
全ての道はウシ型クリーマーに通ず。

今回ジーヴスの機知は、目先の問題を解決するほうに使用されてしまい、大本の問題解決には向かっていないような気がする。ウシ型クリーマーに秘密の手帳、そして巡査のヘルメットが加わった恐るべき三大話に解決の道はあるのか?
「よしきた、ジーヴス」で周囲を引っ掻き回したガッシーとマデラインに加え、か弱い女性ながらも猛犬を飼いならし、独自の道徳観で行動する美女スティッフィーの存在が光ってますねぇ。 イギリス紳士のコレクター熱にも脱帽っ。
…しかし、「よしきた、ジーヴス」の続編とはいえ、『よしきた、ホー』が頻出するのは非常に気になる…

今回思ったのだけれど、バーティーとジーヴスの関係って夫婦みたいですね。表面上は夫に従順でありながら、こっそり裏から夫や周囲を操って主導権を掌握しているやり手の妻。
バーティーが結婚したがらないのも無理はないですねえ。ジーヴス並みの女性なんて滅多やたらに見つかるものじゃないし、万一見つかったとしても逃げるでしょ、バーティー(笑)。

…つぎは9月発売の「でかした!ジーヴス」まで待たなければならない。半年も待たされるのか…はぁぁ。文春のウッドハウス選集第三巻「マリナー氏」はいつになるか判らないし。早く出してくれないかなー。

 

素数の音楽 

マーカス・デュ・ソートイ/著 富永星/訳 新潮クレスト・ブックス

恥ずかしながら、私は数学が大の苦手である。公式が出てくると目が宙を彷徨い、虚数と聞くと脳の回路が一瞬にして停止してしまうのだ。

そんな私にですら、この本は数学の美しさと奥深さを垣間見せてくれた。「創造性あふれる芸術としての数学」「この世に醜い数学の安住の地はない」…
読後にはこれらの、歴史に残る数学者の言葉が真実味を持って伝わってくる。
そのような、調和の取れた音階で構成され、うっとりするようなシンフォニーを奏でる数の世界にありながら、その中心部に存在する「素数」は不規則である。無限であるか有限であるかすら分からない、ひとつの偶数を挟み、隣同士に並んでいるかと思えば、次の素数は遥かな彼方まで行かねば出会えない。

数学に美しさを感じる人々にとって、この「素数」がどのような存在であるのか、何故並み居る数学者が素数の謎に惹かれるのか。この本は1860年代に提唱され、いまだに証明されていない「リーマン予想」を中心に、古代ギリシャから現代までの数学の歴史と、偉大な業績を上げた数学者たちの生涯とを絡めて描き上げている。数学アレルギーだろうがなんだろうが、美と情熱に溢れた、最高に面白く魅力的な作品だった。

勿論自分にはここで扱われている理論を理解するのは不可能だけど、数学者達が数に感じる「至上の美・天空の音楽」というものが漠然とではあるがわかったような気がする。
しかし…
頭で理解は出来るものの、自分でその美しさを実感することは出来ない。そう、満場の聴衆の中、ただ一人耳栓をつけたまま素晴らしいオーケストラの演奏を聴いているような気分だ。子供の頃からの算数嫌いがこんなところで祟るとは。

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